自分で何とかする

 相変わらず、仕事が結構キツイ。毎日、新しいことが入ってきて、それに対応しているのですが。後から振り返れば、たいしたこと内容でも、知らない分、結果的に疲れてしまいます。とはいえ、誰かが助けてくれる訳でもないので。「自分で何とかする」しかないですね。

 

 あと最近思うこととして、一生懸命やったことは、別の領域でも何かの役に立つ場面があるということです。例えば、自分の場合、毎日歩くことで運動をしているのですが。それは結果的に体力増進になって、健康に貢献していると思います。よって仕事を休まないことにもつながっています。しかし実は先月、中耳炎になって、半休をとることになったのですが…。

 

 ともかく、休まないということは大事です。他人からの信頼は少しずつ時間をかけて積み上げていくもの。自分に対する自信も同様かなと思います。

ラブホテルの需要

 

 合法領域のデリヘルや違法領域の売春において、「サービスの提供場所」として利用されているのがラブホテルです(*1) (*2)。ラブホテル業界は表裏の風俗産業と密接に結びついています。ラブホテルは、風営法において「性風俗関連特殊営業」の業態として位置づけられています(*3)。ラブホテル業者は開業の前に、ラブホテルの位置する場所を管轄する警察署に届出をしなければなりません(*3)。加えて、都道府県公安委員会から許可を得て初めて、開業となります(*3)。営業後も、風営法の違反をすれば、ラボホテル業者は許可の取消しにあいます(*3)。ラブホテル業者は「警察当局の顔」を意識して、営業していく必要があります。

 

 ラブホテルの属する「性風俗関連特殊営業」には、ソープランドファッションヘルス、ストリップ、出会い喫茶も含まれています(*3)。現在、ソープランドファッションヘルスなどの店舗型風俗の新規開業は困難であると言われています(*4)。デリヘルなどの無店舗型風俗で必要不可欠なラブホテルの需要は今後も高いと考えられます。

 

 当然、風俗利用者以外も、ラブホテルを利用しています。実家暮らしの若いカップル、不倫関係のカップルが主な客として想像されます。しかし週末に40代、50代夫婦の利用も多いと言われています(*5)。大きくなった子どもがいる家ではセックスを行いづらいことが背景にあるようです(*5)。性を巡るニッチな需要もラブホテルが満たしていることが窺えます。

 

<引用・参考文献>

*1 『週刊実話』2016年7月21日号「スキンレス春川が往く! 風俗裏街道」, p100-101

*2  『週刊実話』2017年1月5・12日号「スキンレス春川が往く! 風俗裏街道」, p178-179

*3 『図解 裏ビジネスのカラクリ』(丸山佑介、2013年、文庫ぎんが堂), p72-75

*4 『日刊ゲンダイ』2016年6月13日号, p34

*5 『日刊ゲンダイ』2016年8月10日(9日発行)号, p11

アウトプットが重要

 今の仕事に就くためには資格が必要で、1年前その資格試験を受けました。1年に1回しか試験が行われない為、落ちたら1年浪人ということでしたが、なんとか受かることができました。

 

 大学受験のように定員が決まっていて、その枠を争う性格のものではなく。出された問題の6割正答であれば、合格というものでした。6割と聞いて、「4割は間違っていいのね」という想いもあったのは事実。

 

 本格的に資格試験勉強をはじめたのは、12月半ば。試験は2月半ば。2カ月しか残っていませんでした。その期間で勉強できる試験のレベルといえば、レベルの試験なのですが。しかし自分の場合、たしか11月か12月に受けた模擬試験で5割切っていて…。さすがに焦りました。言い訳すると2年過程の専門学校だったので、スケジュールが超タイト。直前まで実習していましたから。それにしても実習地の群馬は、暑くて、寒かった…。苦労しました。

 

 それで資格試験の勉強をし始めたのですが。その際、学校の先生から「問題を作ってみない?」と誘われました。翌年受験予定の1つ下の下級生に対して、学校内の模擬試験を先生が作ろうとしていて、その問題作りを生徒に依頼した訳です。内容は国家試験同様のものが求められました。

 

 その仕事を受けたのですが、結果勉強に大いにプラスでした。問題を作るというのは「アウトプット」の行為です。それまでは過去問をひらすら解く、解いたら答えを見て、正誤を確認するということを繰り返していました。沢山の問題をといていたのですが、間違ったり、知識が足りていないなという分野に対して、もう一度教科書を開いて勉強し直す作業までには至りませんでした。

 

 一方問題を作る場合は、知識が曖昧な状態ではいけないので、教科書から再度読み直すことをしなければなりません。結果、もう一度しっかり勉強することにつながりました。この「問題を作る」勉強で、僕は資格試験に受かることができたと思っています。過去問だけやっていたら、どうなっていたかわかりません。つまり勉強はアウトプットが重要ということを今日は言いたいのです。

 

 過去問をとく勉強は、メリット、デメリットがあります。メリットは、①出される問題の「程度」が把握できること、②解く体力がつくことの2点だと僕は思っています。デメリットは、知識を体系的に把握することができないことです。結果、応用がききません。つまり新規問題は苦手になります。

 

 この手の記事は、受験シーズン真っ最中の今に出すのではなく、昨年末に遅くとも出すべきだったなーと反省しています。

 

 あの時の辛かった時を思い出して、仕事を頑張っていこう。

大日本興行

 住吉会の2次団体・大日本興行は太平洋戦争後、東京の銀座で結成されました(*1)。創立者は高橋輝男です(*1)。高橋輝男は戦後、浦上信之をトップとする浦上グループに入ります(*1)。浦上グループの別名は「銀座警察」でした(*1)。浦上グループは銀座に事務所を置き、債券取り立てや、会社乗っ取りグループの追及等の経済案件を担っていました(*2)。

 

 浦上グループの特長は、法律外の手法(暴力行使)を用いて解決に導けることでした(*2)。また浦上グループは暴力行使だけではなく、情報収集にも長けていました(*2)。経済案件に悩む企業にとって、法律的解決に頼れば時間はかかり、また自社の望まない展開も覚悟しなければなりません。お金はかかるものの、時間の節約、望む展開に至ることを期待して、浦上グループに依頼する企業は一定いたと考えられます。

 

 浦上信之は「銀座警察」の“署長”、高橋輝男は“司法主任”と位置付けられていました(*3)。高橋輝男が浦上グループの高い地位にいたことが窺い知れます。高橋輝男はその後、1951~1952年頃に大日本興行を結成します(*4)。大日本興行の稼業は多岐に渡っていました(*3)。貸植木業、寿司屋、ボクシング興行、映画製作、硫黄鉱山、青果市場経営(*3)、また総会屋対応(*1)なども大日本興行は手掛けていました。

 

 テキヤ組織を除いて、昔からヤクザ組織の稼業は、裏社会(違法領域)の需要を満たすものが多いです。典型が違法賭博です。従来のヤクザ稼業の型に捉われず、大日本興行は一般企業の事業領域に侵食していきました。表社会の事業領域において、大日本興行の有する「暴力装置」は希少価値となり、時と場合によって重宝されました。大日本興行はボクシング興行を目的とする大日本興業株式会社も設立していました(*4)。

 

 大日本興行は事務所を日比谷の日活国際会館に構えました(*1)。しかし1956年、同じ住吉一家内の抗争事件で、高橋輝男は死亡します(*1)。高橋輝男を襲撃したのは向後グループ(現在の向後睦会)でした(*1)。

 

 大日本興行は1989年、テキヤ組織の寄居田中宗家連合二代目菊心会(福島県福島市)を自組織に加入させます(*5)。加入後、寄居田中宗家連合二代目菊心会は奥州田中一家に改名します(*5)。また大日本興行は奥州生田一家岩手県奥州市)という下部団体を抱えています(*5)。東北地方にも勢力を伸ばしたことが分かります。

 

<引用・参考文献>

*1 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p29-32

*2 『ヤクザ大辞典 親分への道』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p38

*3 『ヤクザの死に様 伝説に残る43人』(山平重樹、2014年、幻冬舎アウトロー文庫), p70-71

*4 『洋泉社MOOK・ヤクザ・流血の抗争史』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p52-55

*5 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p150

仕事がはやい人

 自分なりに「仕事ができる人」とはどういう人かを考えてみました。ようするに普段自分が意識してやっていることです。

 

 「仕事がはやい人」です。「はやさ」を平仮名にしたのは、「早さ」「速さ」の両方とも兼ねる必要があると思うからです。

 

 「仕事が早い」とは、取り組むのが早いという意味で、ともかく即時即決、そしてその日のうちに片づけてしまおうとする姿勢です。報告、連絡、相談も「上司は今忙しいから明日でいっかな…」といって、明日に延ばすのではなく、叱られる覚悟で、すぐに伝えにいくことです。基本的なことからもしれませんが、意外とできていない人がいます。

 

 「仕事が速い」とは、例えば毎回量の決まっている書類仕事なら、毎回同じ時間をかけて行うのではなく、毎回同じ質でなおかつ時間短縮を図るようなことです。また、同じ1時間でも、多くの仕事を片付けるようなことです。「仕事が速い」人は、「時間」を作ることができます。結果、作った時間で、新しいことに取り組めて、仕事の幅が広がります。

 

 僕は「仕事のはやい人」を目指しています。

丸茂一家

 明治時代(1868~1912年)、北海道函館を拠点にする丸茂一家という博徒組織がありました(*1)。明治時代において丸茂一家は「広域団体」でした(*1)。勢力圏は樺太、北海道、青森、秋田、岩手、宮城、山形、新潟でした(*1)。構成員は全盛期で約2万人と言われていました(*1)。丸茂一家の設立者は、千葉県出身の森田常吉です(*1)。

 

 しかし1910年(明治四十三年)、警察当局は丸茂一家に対して「博徒結合罪」を適用して森田常吉をはじめとする大勢の幹部を逮捕します(*1)。幹部の大量逮捕を機に、丸茂一家は消滅しました(*1)。丸茂一家の構成員の外見的な特徴として、手の「桃の刺青」がありました(*1)。

 

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザ大辞典 親分への道』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p296

政治的駆け引き

 

 ヤクザ組織が他組織を傘下に収める方法として、主に①武力抗争を用いた吸収、②政治的駆け引きによる吸収の2つがあります(*1)。組織の優劣を決める手段として、武力抗争が大いに認められているのがヤクザ社会です。ヤクザ組織は頻繁に他組織と武力抗争を起こしてきました。抗争の結果、組織維持が困難になった組織は解散し、構成員が相手側の傘下に入るという場合が多いです。1960年、山口組と明友会の抗争の結果、明友会は解散に至りました(*2)。その後、明友会の一部の構成員は山口組に入っています(*2)。

 

 一方、武力抗争を起こさずに、他組織を吸収する際に用いられるのが政治的駆け引きです。政治的駆け引きの1例としては、以下があります。経済的苦境に陥っている他組織に資金提供する形で介入、跡目候補も懐柔していき、間接的に他組織を「操作」していく方法です(*1)。武力抗争を用いないので、構成員を死や怪我に至らせずに、また刑務所に送り出さずに済みます。人的被害は少なく済むのがメリットです。

 

<引用・参考文献>

*1 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p50

*2 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p109-112