何事もめげずに

新年度に入って、職場での裏方仕事(飲み会幹事とか)や諸々のことやって、ようやく今落ち着いた感じです。

 

こっから、また新たにいろんなことがやってきて、解決していかないといけないんでしょうけどね。でもそうじゃないと、逆にダレてきますからね。逆に、自分から忙しくしていくという意識でいいのかもしれません。

 

恋愛とかに集中していきたいと思っても、相手があることですし。

 

まあ今だ、想いを告げてはいないのですが…。不倫じゃないので、告げることはマズイ訳じゃないけど。まだ時期が早いんじゃないかと…。

 

でもそんなこと言っていたら、誰かにとられることに…(過去に何度かあった…とうか自分の場合ずっとそれ)。

 

そんな意気地のない感じで生きてきた訳ですが。

 

さすがにこのままでは終われないということに、ようやく辿り着きました。

 

結果は、正直重要じゃない。自分の意思を貫けないこと、周囲の目が気になって、縮こまっていること、これこそが問題なんだと結論に至ったのです。

 

自ら仕掛けて、思い切ってやって、でも失敗した。大いにフラれた。

 

傷跡になるし、人生の生き方に多少支障を来すかもしれません。

 

でも自分の自信にはなると思います。

 

あのとき、孤独で怖い思いをしながら、想いを告げたんだと。失敗したが、自分の意思を貫いたんだぞと。

 

そういう経験の積み重ねこそが、生きていく上での「資産」になると思っています。

 

今日は暑さのせいか、色々語ってしまいまいたが。

 

何事もめげずに、やっていきたいと思います。

大映の時代劇が良いです

 再び昔の日本映画(時代劇)を見ているのですが(一時期ほんとによく見ていた)。休みの日は映画観賞(といってもDVDを借りてくる)の時間を増やしていきたいです。

 

 改めて大映の時代劇は良いなと思いました。『ひとり狼』が特によかったです。市川雷蔵さんカッコイイ―。

 

 大映の時代劇は独特の雰囲気があって好きですね。勝新太郎さんの座頭市シリーズも良いです。

寄居

 「寄居」というテキヤグループが東日本で活動しています。寄居の源流は、鹿島峰太郎が群馬県で興したテキヤ組織です(*1)。組織名は、鹿島峰太郎の出身地・埼玉県寄居町から来ています(*1)。寄居は、内部の構成員が一家名乗りしていく形で、東日本一帯に散らばっていきます(*2)。北海道、東北、関東、甲信地区に寄居を名乗るテキヤ組織が活動していました(*1)。全盛期には寄居グループ全体で約3000人も構成員がいたと言われています(*1)。特に北海道の寄居グループは、北海道のテキヤ業界において、丁字家、源清田と並び、三大勢力の1つに位置付けられていました(*3)。

 

 1974年、寄居を名乗るテキヤ組織が再結集し、全日本寄居連合会が発足します(*1)。初代会長に就いたのは、寄居分家三代目会長の飯久保武です(*1)。寄居分家は群馬県前橋市を拠点とする組織です(*1)。1984年に結成された関東テキヤ組織の親睦団体・関東神農同志会(*4)に、全日本寄居連合会は参加していました。

 

 しかしその後、寄居グループの中で、広域団体に移籍する動きが続出します。1989年、北海道の寄居関保連合(現在の山口組2次団体・旭導会)が山口組傘下に入ります(*3)。同年、福島県福島市の寄居田中宗家連合二代目菊心会が住吉連合会大日本興行に入りました(*3)。

 

 1990年には北海道釧路市の寄居勇心会(現在の住吉会2次団体・勇心会)が住吉連合会、福島県郡山市の寄居田中宗家連合真会(現在の稲川会2次団体・紘龍一家)が稲川会に移籍しました(*3)。

 

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザ大辞典 親分への道』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p1550-170

*2 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p14

*3 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p146-150

*4 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p76

*5 『FOR BEGINNERS シリーズ㊷ 右翼』(第Ⅱ部著者・猪野健治、1999年、現代書館), p157

売春組織の合法的な「看板」

 

 日本において性風俗業の新規開業は難しいといわれています。ソープランドの場合、1985年の新風営法の施行以降、地域によって条例により、新規開業が困難になりました(*1)。ファッションヘルスも同様に、新宿歌舞伎町や横浜の関内では、新規開業が困難です(*2)。性風俗業は行政の規制の強い業種です。供給側(サービス提供側)が行政規制により絞られる一方、需要(サービスを欲する側)が一定ある業界では、非合法活動が跡をたたないです。

 

 2017年9月北海道札幌市の中古車個人売買仲介業の社長(当時50歳)が売春防止法違反(周旋)の疑いで逮捕されました(*3)。同年8月、従業員女性(19歳)を出会い系サイトで勧誘した50代男性に売春を周旋した疑いです(*3)。ちなみに周旋(しゅうせん)とは「斡旋」のことで、売春婦と客の間に入って、交渉を行うことです。

 

 会社は2016年11月に設立されました(*3)。設立から9カ月後に、従業員に売春をさせていたことが発覚しました。出会い系サイトで集めた19~24歳の女性十数人を従業員として雇用していました(*3)。会社の実態は、売春組織だったことが伺えます(*3)。しかし会社ホームページを作成し、体裁を整えていました。

 

 逮捕された社長は、売春組織運営する際、合法的な「看板」を必要としたと考えられます。売春で得た利益は、税務署に申告することはなく、脱税することになります。一時的な収入であれば誤魔化しはきくかもしれませんが、売春の利益は持続的に入ってきます。税務署に気づかれるリスクが高いです。結果、利益の使い道は限定されていきます。

 

 解決策の1つとして、「合法的な金」に変えることがあります。逮捕された社長は、売春で得た利益を「中古車で得た利益」に差し替えることを企んでいたと考えられます。諸々の税金を払わねばなりませんが、利益の使い道の幅は広がります。また売春婦にとっては「中古車販売会社の従業員」という肩書を持つことができ、家族や友人への体裁を整えることができます。

 

<引用・参考文献>

*1 『[風俗]商売の始め方・儲け方』(立川文人、2010年、ぱる出版), p76

*2 『[風俗]商売の始め方・儲け方』, p80

*3 『日刊ゲンダイ』2017年9月28日号(27日発行), p7

無駄遣いしない

 定職に復帰して1年目の昨年度、後半はボーナスを久々にもらったこともあり、無駄遣いをしてしまいました。それなりに、楽しめたし後悔はしていませんが。

 

 この調子でつかっていくと、明らかにお金がなくなっていくので。新年度にもなったことなので、贅沢をおさえていくことにします。友人との食事会、サウナぐらいにおさえていきます。

 

 お金をためていくぞ!!!

行動量を増やす

 5日間の連休を今日までもらって、明日から仕事です。連休期間は、友人と食事をしたり、読書をしたり過ごしていました。あとは、サウナにも行きました。5日間もあると、時間を持て余しそうと懸念していたのですが、意外とそういうことなく充実していたかな~と思います。

 

 日々思うこと沢山あるので、雑感記事をいくつか書いてみたかったのですが、結局今日のこの1つだけになってしまって…。うーん、想いを言語化するのは大事なことですからね。

 

 明日から新年度体制が始まり、僕は職場では2年目。やはり1年目と比べれば、気持ち的には職場環境に慣れた、多少仕事を覚えた等々で、だいぶ楽な気持ちで迎えることができます。

 

 ただ気をつけたいなと思います。僕の職場の場合、1年目がやたらと雑務やイベント仕事が多く、ほんとに大変でした。なので、2年目は結構解放されるというか、なんだか「楽しそう」(すみません…まあ誰も見てはいないと思いますが)です。

 

 ただ2年目になっても慢心することなく、仕事の実力をもっと伸ばしていこうと思います。実際、まだ知らないこと多いです。果敢に色んなことにチェレンジして、1つ1つにあえて時間や手間をかけていく、分からないことは今後もどんどん積極的に質問していくつもりです。自由時間が増えた休日には、勉強会にどんどん参加していきたですね。

 

 あと後輩へのアシストなんかも「なんで僕が」とは思わず、積極的に行っていきたいと思います。自分がされて嬉しかったことはしていきたいですし、まだ自分がここはこうすべきじゃないかと思ったところはどんどんやっていこうと思います。

 

 1年目以上に行動量を増やすことが目標ですね。そして積極的に。

村上一家

 

 九州の有力な2次団体として知られるのが村上一家です。村上一家は浪川会(大牟田市)の2次団体です。2016年8月福岡市で村上一家が山口組2次団体・伊豆組とトラブルを起こし、村上一家が中州を練り歩く示威活動を行いました(*1)。山口組に対して対抗する動きを示し、好戦的な側面を見せました。

 

 村上一家は、元々大牟田市を拠点とする独立団体でした(*2)。太平洋戦争後の大牟田市で、主要なヤクザ組織は誠友会でした(*2)。対して、村上一家は大牟田市のヤクザ組織の中でも「新興勢力」という位置づけでした(*2)。その後村上一家は、1978年以降、道仁会に入りました。道仁会は1971年古賀一家トップ古賀磯次の主導により作られた連合組織で、後に垂直型の組織形態に変更しました(*3)。

 

 2006年道仁会トップの跡目問題で、村上一家は道仁会を脱退、脱退をともにした組織とともに九州誠道会(1次団体)を立ち上げました(*4)。2006年当時、村上一家が道仁会最大の勢力でした(*4)。九州誠道会は道仁会と抗争関係に入り、抗争は2013年6月に終結しました(*5)。抗争終結に際して、九州誠道会は表向き解散したものの、同年10月に新団体・浪川睦会を立ち上げました(*5)。後に、浪川睦会から浪川会に改称しました。

 

 村上一家の前トップが、浪川会トップの浪川政浩です。浪川政浩は村上一家四代目総長でした。浪川政浩は大牟田市で生まれ、21歳の時村上一家に入りました(*6)。浪川政浩は、赤坂プリンスを定宿にし、東京に進出しました(*6)。浪川政浩は銀座のクラブのVIPルームで遊んでいたことから(*7)、東京の裏社会で一定の存在感を持つに至ったことが考えられます。ちなみに浪川政浩は刺青を入れていません(*8)。浪川政浩のボディガード部隊は「神闘総業」と呼ばれていました(*9)

 

<引用・参考文献>

*1 『菱のカーテンの向こう側 2015年~2017年山口組分裂全記録』(R-ZONE編集部、2017年、サイゾー), p240-242

*2 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p90

*3 『洋泉社MOOK・ヤクザ・流血の抗争史』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p188

*4 『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦、2013年、講談社+α文庫), p291

*5 『実話時代』2014年5月号

*6 『男達 現代が失ったオトコの神髄』(浪川政浩・明石散人、2007年、WAVE出版), p108,120-121

*7 『男達 現代が失ったオトコの神髄』, p27-29

*8 『男達 現代が失ったオトコの神髄』, p88

*9 [別冊宝島Real]『ヤクザより悪い男たち』(古市満朝、2016年、宝島社), p120