住吉会の組織形態

 2014年5月現在、警察組織から21のヤクザ組織が「指定暴力団」として取り締まり強化の対象にされています。その21組織の中でも、主要3団体がヤクザ組織の人口を占めています。警察庁のサイトで掲載されている「平成25年版 警察白書」によると、構成員の数でトップなのが山口組で約13100人、2位が住吉会の約5000人、3位が稲川会で約3700人となっています。構成員数4位以降の組織は、1000人に達しておりません。準構成員の数は含まれていませんが、組織の規模の実態を把握できる数字です。その1つの住吉会で、先月4月、組織を束ねる会長職の交代が行われました。退いたのは1998年から住吉会会長を務めていた福田晴瞭で、新会長になったのが関功です。

*今回は記事を作成するにあたり、『週刊アサヒ芸能』2014年5.1特大号、『実話時代』2014年5月号、『FLASH』2014年5・13/20号、『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦著、講談社+α文庫)、『実録ヤクザという生き方』(朝倉喬司、溝口敦、山之内幸夫 他著、宝島社文庫)、『ヤクザ・レポート』(山平重樹著、ちくま文庫)の情報を参照させて頂きました。

 

 住吉会は発足地である首都圏をはじめ関東や東北に活動範囲を持っています。特に東京の繁華街を縄張りとできているのが、住吉会の力の源泉の1つです。東京の繁華街全てが、住吉会の縄張りではありません。稲川会、東京で昔から活動していた山口組の2次団体・國粹会、東京を本拠地とする1次団体の極東会や松葉会などが東京の繁華街で自分達の縄張りを持っています。ただその中でも存在感があるのが住吉会です。

 

 住吉会の3次団体・小林会は銀座を縄張りとしています。個人のお金では払いきれない高額料金が成り立つ銀座です。比例して銀座から裏社会に流れ出るお金も高額です。ヤクザ組織が夜の飲食店や風俗店からミカジメ料を取る目的は、単純に「用心棒」としての代金を得ること、そして「店側との接点」を持ち続けることがあります。店に勤める女性を通じて、客として通う会社の社長がトラブル解決の依頼を、ヤクザ組織に依頼してくることがあります。債権回収、手形の諸問題、不法行為に近い業務等、表の世界では処理しきれない問題は現実に存在します。当然その話は、店のミカジメ料を取っているヤクザ組織に、一番早く舞い込みます。話を受けたヤクザ組織にとっては新たなシノギ(仕事)となります。ミカジメ料を取って、常に「店側との接点」が持っていたからこそ、得られた仕事です。ヤクザ組織にとって、ミカジメ料とは「用心棒料」以上の意味合いがあるのです。

 

 潤沢なお金を動かせる大企業の役員達が客として銀座に集います。客の一定数は、小林会へ裏稼業を依頼することになります。当然、小林会は足元を見て、「高額な代金」を要求できます。日本の金持ちが集う場所を縄張りとして、金持ち相手の裏稼業に恵まれているのが、小林会の強みです。住吉会前会長の福田晴瞭は小林会出身です。小林会の立場を象徴している話です。

 

 「住吉会の3次団体・小林会」と先程、表現しました。銀座を縄張りとするヤクザ組織が3次団体というのは奇妙に思えます。単純に考えれば、住吉会を1次団体とすると、小林会は2次団体と考えてしまうからです。実は、住吉会と小林会の間に介在する団体があります。それが住吉一家です。つまり、まず住吉会という大きな1次団体があり、その下に住吉一家などの2次団体があるのです。そして2次団体・住吉一家の下部団体として、3次団体・小林会等が存在する形態となっています。小林会は正式に言えば、「住吉会住吉一家小林会」となります。

 

 1次団体・住吉会は現在、直参の仕組みをとっていません。直参の仕組みは、上部団体が下部団体を信認する(下部団体は威光を使える)、一方下部団体が上部団体に忠誠を尽くす(下部団体は上納金を払う)という、上下の力関係を明確にしたものです。指揮系統が明確なので、組織を円滑に回せる利点があります。山口組をはじめ数多くの1次団体は、この仕組みを使っています。対して、住吉会の場合は、2次団体達の連合体の組織形態をとっています。言い換えると、2次団体・住吉一家等から見て、1次団体・住吉会は実質的には「上部団体」ではないのです。

 

 住吉会の歴史は、1958年に発足した港会から始まります。1964年に住吉会に組織名称が変わったものの、警察組織の圧力により翌年1965年に住吉会解散に至ります。しかし1969年に住吉一家五代目総長の堀政夫が、「住吉会」時代のヤクザ組織を再結集させ、住吉連合という名前で復活させます。そして住吉一家総長である堀政夫は、住吉連合の代表も兼務します。この住吉連合時代に、北関東の親和会や東北の丸唐会といったヤクザ組織が住吉連合に加入することになり、組織は広域化・巨大化していきます。1982年には住吉連合会に組織名称を変更します。住吉連合では「代表」であった堀政夫の肩書が、住吉連合会では「会長」へと変わりました。「連合」という文字が名称に使われている事が、連合体の組織形態だったことを物語っています。1991年には住吉会と現在の名称に変更します。会長には西口茂男がなりました。また同年西口茂男は住吉一家六代目総長にもなりました。この時、住吉会は直参の仕組みを取り入れます。連合体の形態を解消して、1次団体・住吉会が2次団体を「下部団体」として治める形態に変更したのです。けれども、福田晴瞭が住吉会会長になった1998年に、住吉会は直参の仕組みを解消して、連合体の組織形態に戻りました。

 

 住吉会は一時期(1991年~1998年)を除いて連合体の組織形態を続けてきました。よって会長職は、上下関係のない2次団体同士の「調整役」に終始せざるおえない印象があります。しかし実態は違っています。過去の住吉会の会長は、確固たる権力がありました。力の拠り所は、住吉一家総長という「もう1つの地位」です。1958年に発足した港会から、住吉一家は2次団体における中核組織でした。堀政夫は住吉一家五代目総長だったからこそ、1969年に住吉連合を復活させて、その代表も務めることができました。大きな2次団体の長が、連合体の長も兼ねれば、話が収まりやすくなります。住吉会は「国会」で、住吉一家は「政権与党」と考えれば分かりやすいです。よって住吉会の会長は「首相」で、住吉一家の総長は「政権与党の党首」です。首相が国会で上手く法案を通していく為には、国会の議席数を占める与党の議員達を支配できる与党党首を兼務する必要があります。住吉一家は現在までに、住吉会の大半のヤクザ組織を傘下に収めてきました。住吉連合会時代に加入した北関東のヤクザ組織・親和会は、現在「住吉会住吉一家親和会」と住吉会の3次団体になっています。現在、住吉会の主要な2次団体は住吉一家と幸平一家です。「住吉会=住吉一家」の構図に近くなっているのが現状です。ただ幸平一家も有力なヤクザ組織で、「武闘派集団」とマスコミで形容されています。

 

 「住吉会会長」と「住吉一家総長」の役職兼務は、住吉会全体を率いる人間にとっては不可欠です。しかし近年は様相が異なります。先月4月の住吉会人事を詳しく見ると、新会長の関功は住吉一家の新総長にはなっていません。現在の住吉一家総長は福田晴瞭です。ちなみに代目は、2005年に西口茂男・住吉一家六代目総長から引き継いだので、福田晴瞭は七代目の住吉一家総長となります。福田晴瞭は「住吉会会長」から退きましたが、「住吉一家総長」の役職を続けていきます。一方関功側から見れば、「住吉会という連合体のトップ」ではありますが、「住吉一家という巨大2次団体のトップ」ではないのです。一見、福田晴瞭・住吉一家七代目総長の「院政」の開始と考えてしまいます。ただ福田晴瞭自身も、1998年にまず住吉会会長になって、2005年に住吉一家総長になっています。1998年~2005年は「住吉会会長のみの期間」で、2005年~2014年「住吉会会長と住吉一家総長の兼務期間」、2014年以降が「住吉一家総長のみの期間」という役職の変遷があります。この福田晴瞭の例に従えば、現在の関功住吉会新会長もいずれ「住吉一家八代目総長」となる可能性が高いです。一気に権力を次のトップに渡すのではなく、段階的に権力を移譲する方法を住吉会はとっています。