サラリーマン世界ではヨイショとワイロが物を言う

  日本に生きる多くの会社員にとって、社外の取引先の人達との関係、また社内の人間関係は良好であることが望ましいです。ただ家族関係や友人関係と異なり、仕事上の関係であり、接し方に工夫が求められます。今回は私なりに考えた、また実践している、仕事上の処世術を話します。はっきり言えば、やはり会社員の人間関係では「ヨイショ」と「ワイロ」が物を言うのです。

  「ヨイショ」とは、「本心とは関係なく相手を持ち上げる」という意味で一般的に使われています。お世辞などがその具体的な例です。しかし私が使う「ヨイショ」は、一般的なものとは異なります。何十年と人生経験を積んだ大人にとって、他人の言動が本心に基づいたものかどうかは、分かるものです。本心からではないお世辞を言われても、嬉しくない人も沢山います。言ったお世辞が、悪い評価として自分に返ってくる場合もあります。よって仕事上で付き合いのある相手を実際効果的に「持ち上げる」のは難しい事なのです。ただお世辞ではない雑談で、相手を楽しませることはできます。自分の笑える失敗談の披露などであれば、相手を直接「持ち上げる」のではありませんが、相手を楽しませることはできます。「相手を持ち上げる」のではなく、「相手を楽しませる」のです。楽しい雑談は、決して悪い評価として自分には返ってきません。遠回りの方法かもしれませんが、相手と楽しい雑談を積み続けることで、仕事上での良好な人間関係は出来上がっていきます。相手と楽しい雑談をすること、つまり「相手との雑談を楽しい方向に持ち上げる」ということが、私の考える「ヨイショ」なのです。

  雑談は、仕事で実際重要です。特に営業する取引先の人との雑談だけに収まりません。社内の人との雑談も、働く上では大切です。社内の人と日々雑談することで、信頼を深めておけば、仕事上での応援を期待できます。ちょっとした困ったこと、例えば「自分の知らないエクセルの操作方法」「メール文面の作成方法」等を、教えてもらいやすくなります。また仕事以外の冠婚葬祭や育児、親の介護における助言ももらえやすいです。さらに上司と雑談をして仲を深めることで、出世の道が開ける可能性が高まるでしょう。直接顔を合わせて話すという、雑談は、会社員にとって必須の武器といえます。ではどのような雑談をすれば良いのでしょうか。

  雑談において、重要なのは、片方だけが話過ぎないことです。1人だけが、延々と話していては、聞いている相手が疲れます。実は「聞く」というのは、苦労を伴う行為です。なぜなら「話を覚える」必要があるからです。仕事上の雑談を成立させる為には、聞く側には「話される内容を覚える」責務が残念ながら発生します。話す側の話した内容を覚えていないと、「話す人に関心がない」と解釈されて、仕事上での信頼を損ねてしまいます。夫婦や親しい友人との間の何気ない雑談では、聞いた振りして話を聞いていなかった事はよくあり、許されます。けれども仕事上での雑談において、その行為は許されません。自分の夏休みの話をしているのに、社内の人に聞いた振りだけされて、嬉しい人はいないでしょう。

  当然、「覚える」という行為は、学校の勉強で求められたように、快適な行為ではありません。話す人だけに集中して、これまでの話されてきた内容を整理しながら、忘れないようにするという負荷を自分に掛ける必要があります。一方、話す方は簡単です。内容を整理しながら話す人もいますが、人によっては思い浮かんだ事をただ話す場合もあり、そこには聞く側の「話される内容を覚える」責務に相当するものはありません。よって仕事上での雑談では、自分ではない相手が聞き過ぎていないかに注意することが重要です。逆に言えば、自分が話し過ぎていないかに注意することです。そして、相手にも「話す側」に回ってもらうようにします。主体的に自分が「聞く側」になるのです。そうすれば、相手は聞くことに伴う責務から解放されて、楽になります。

  相手に「話す側」に回ってもらうには、やはり「相手の話しやすい内容」を雑談上に挙げることです。例えば、相手が阪神タイガースのファンならその話、釣り好きな相手ならその話を、雑談に挙げるのです。ただ、「聞く側」に回る自分が無理になる話題は避けるべきです。明らかに、自分の興味のない競馬の話を延々とされては、「聞く側」の自分が疲れてしまいます。やはり雑談は自分も楽しめないといけません。過度の自己犠牲は長続きせず、結果的に相手との人間関係も長続きしなくなります。よって相手の興味があり、自分も興味がある、話題を雑談上で挙げることが重要です。

  ちなみに私は、海外旅行の話題を雑談に挙げます。日本で生きる大人であれば、一度や二度海外旅行に行っています。海外旅行は、楽しむ目的で行っているので、楽しい思い出が多いです。また海外という珍しい地に行ったので、話せる内容が豊富です。相手に不快なく、話してもらうには、良い話題です。一方私は外国の歴史を勉強していたこともあり、外国には関心があります。相手の海外旅行の思い出話は、面白く聞けます。

  「ワイロ」も会社員にとって重要です。仕事上の便宜を図ってもらうために送る金銭やそれに類する物、それらが賄賂です。けれども昨今は「賄賂受難の時代」であります。公務員に賄賂を贈れば贈賄罪で捕まってしまいますし、民間企業でも昨今はルールが厳しく食事における接待もできないことが多いです。「賄賂=犯罪」の様相を呈しているのが、日本の社会状況です。しかしそんな社会においても、生き残り続けている「ワイロ」があります。それがお土産です。大型休みで帰省や旅行の際買ったお土産を、仕事上で付き合いのある人達に渡すのは、よく見掛けます。実際、仕事上のコミュニケーションの「潤滑油」としての役割をお土産が果たしています。けれども、厳密に言えば、お土産も賄賂の1種であります。お土産はお金を使って調達しており、金銭が形を変えただけとも言えます。ただし実際は、1人に渡るお土産は、菓子箱の1袋でありその価格は100円前後です。賄賂の目的である仕事の便宜を図ってもらうには、少額です。また広く習慣化されていることもあり、賄賂として認識をされておりません。お土産とは、賄賂の1種には違わないのですが、賄賂としては取り扱われていないのです。よって私は「ワイロ」という、ずれた表現でお土産を表現しています。

  よってお土産は、賄賂に通じる性格を持っています。それは、お土産を受け取る側に喜ばれるからです。単純に「もらった」という体験だけで、人は嬉しいものですが、お土産は他との違いがあります。昼休みに会社近くのコンビニエンスストアで買ってきたお菓子を社内の人に配るのと異なり、お土産は手間が掛かっています。お土産は、遠い場所で買った物です。そこからお土産を持ち帰らなければなりません。その「持ち帰ってくれた」手間が生じています。手間が掛かっている物を受け取るのは、気持ちが良いです。バレンタインデーにもらうチョコレートが手作りであれば嬉しいのと同様です。また最近のお土産は、物によりますが、美味しいのが多いです。甘さが上等だったり、ボリュームがあったりと、舌や胃を満足させてくれます。

  少額というのもキーワードです。受け取る側が、気軽でいられるからです。当然、仕事上の付き合いでもらったのであれば、「返す義務」が発生しますが、その際返すのに多額のお金を必要としません。自分も旅行に行ったときに、千円前後のお土産を買ってくれば済みます。一方、夏のお中元、冬のお歳暮の場合だと、高額になってしまう為、もらった側はお返しする場合、高額の出費を迫られます。お返しの必要がなくても、高額の頂き物は、心の負担になってしまいます。お土産とは、受け取る側に負担を感じさせない「ワイロ」なのです。

  受け取る側を満足させ、負担を感じさせないお土産は、まさに最強の贈り物と言えます。さらに、お土産は多くの個包装から成り立っています。多くの人に配りやすい性質があるのです。すなわち平等性の要素が濃いといえます。賄賂の話で、人々が怒る素地には、賄賂をもらう側への妬みの要素も含まれています。つまり「賄賂をもらいやがって」という思いです。裏を返せば、「俺は賄賂をもらえなかったぞ」という取り残された思いでもあります。賄賂とは、権限のある特定の人だけに贈るので、元々排他的な要素が濃いのです。よってそれから取り除かれた一般人によって、賄賂絡みの事件は、厳しく責められます。排他性という負の側面が賄賂にはあるのです。お土産が、賄賂ではなく「ワイロ」でいられる理由の1つに、このことがあります。つまりお土産は、相手を喜ばすという賄賂の側面を引き継ぐものの、賄賂の負の側面である排他性を引き継いでいません。平等性を担保するからこそ、お土産は「ワイロ」なのです。「ワイロ」は積極的にしましょう。