業務時間の圧縮が高給取りへの道

 稼ぎの良い仕事つまり高給取りの仕事には、人よりも稼げる仕組みが内包されています。十分知られた事ですが、希少価値のある仕事を持てば、高給取りになれます。例えば、難病の手術の成功率が極めて高い外科医、プロ野球の世界で年間に沢山勝てる投手、ベストセラー作家などです。「難病の手術を成功させる」という事は、多くの人ができる事ではないので、世の中で希少価値を持ちます。逆に「注射を打てる」「包帯を巻く」という事は、難病の手術の成功よりも容易で多くの人ができる為、希少価値を持ちません。重要な分野で、代替が利きにくい存在になっている人はお金持ちになれるのです。けれども代替が利きにくい存在には、簡単になれません。多くの時間と労力を要し、場合によっては競合者との争いを勝抜くことが求められます。希少価値のある仕事を持つ高給取りには、「厳しい過程」が伴うのです。多くの人は「厳しい過程」に辟易して、希少価値のある仕事を持つ高給取りへの道を選択肢から外します。

 需要が高い仕事に就くのも高級取りの道です。典型的な例が営業職です。会社のサービス・製品を、他社や消費者に売る仕事です。商品が回って成立する資本主義を採用している現代日本において、営業職の存在は欠かせません。「営業職のいない会社はない」のが実態です。会社は売上貢献度が高い営業職を厚遇します。実際営業職の給料は、希少価値のある仕事を持つ高給取りには全く及ばないものの、一般的に高く設定されています。

 営業職は希少価値を持ちませんが、多大な苦労を伴います。多大な苦労の対価として、高めの給料が設定されている側面があります。営業職は沢山存在しています。「商品内容を正確に説明する」「客を楽しませる」などの営業職特有の技術を習得するのに、数年単位の時間や労力を必要としません。しかし人と接する時間が多い為、精神的に負担が掛かる仕事です。また仕事内容が売上実績に直接反映される為、ノルマという必達目標を約束させられる場合もあります。好んで営業職に就く人は多くありません。「営業職という仕事の辛さ」というマイナス要素と、「高めの給料」「職業技術取得の容易さ」というブラス要素を合わせて、プラス要素が残ると判断した人が営業職を続けています。

 需要が高い仕事が全て高給取りという訳ではありません。介護職は少子高齢化の現代日本においては、需要の高い仕事ですが、高給取りとは全く言えないのが実態です。今まで介護という役割は「家庭」に任されていました。現在では介護という役割が「社会」に移行された結果、介護職という職業が出来ました。介護制度の歴史が浅い為、介護業界に「お金が入ってくる仕組み」が十分に確立されていないのが現状です。需要は高くても、「お金が入る仕組み」が機能していないと、高給取りにはなれないのです。今後、医療業界のように十分にお金が入る仕組みが、介護業界でも確立されれば、需要は高い分野なので、介護職は今よりは給料が良くなる可能性はあります。

 違った側面になりますが、「昨年の仕事が今年に活きる」仕事も、高給取りになれます。例えば、教師の仕事は、新任の時期が業務量の面で一番過酷です。例えば、新任の小学校の教師は、「生徒に教えたことがない」事を言い訳にできません。同じ学年で隣のクラスを受け持つベテラン教師と同じ内容の授業を展開させないと、保護者から批判が来るからです。新任の教師は膨大な予習をする必要があります。しかしそれは翌年に活きます。「新任時代の授業経験」が頭に残っているので、それを基に2年目の教師は授業展開ができます。新任時代同様の膨大な予習をしなくて済みます。そうやって3年目、4年目と年数を積み重ねていくにつれて「授業経験」の蓄積が多くなります。授業への予習時間はそれに反比例して、少なくなっても対応できるようになります。

 教師の仕事に限らず「昨年1時間掛かっていた業務を今年は30分で出来るようになった」という事例はよくあり、年々業務時間を圧縮できる仕事は存在します。圧縮して浮いた時間は、新しい仕事を行うのに、使えます。沢山の業務に取り掛かる事は、組織や会社への貢献度が高いので、給料が高くなっていく要因ともなります。逆に、年数を重ねても業務時間を圧縮できない仕事は、給料が高くなりません。典型的な例が、単純な肉体労働の仕事です。物を人力で運ぶだけの仕事の場合、年数を重ねたからといって、物を人力で運ぶ量は劇的に増えません。物を人力で運ぶ仕事は、従事する人の「体力」に依存しているからです。従事している人にとっては、自分の「体力の消耗」を提供して、お金を得ています。従事する作業が同じなら、どの時期においても、「体力の消耗」は一定です。昨年も今年もそして来年も、体力は同様に消耗するので、作業効率も変わりません。物を人力で運ぶ仕事は業務時間を圧縮できません。