山口組分裂の背景

  8月下旬、日本最大のヤクザ組織である山口組が分裂する事態に至りました。警察庁の「平成26年暴力団情勢」によれば、山口組は構成員1万300人、準構成員1万3100人、計2万3400人の組員を抱えています。ヤクザ人口の43.7%を占める大組織です。山口組は1915年神戸で結成されました。今年は結成100年目の年となります。山口組は8月27日、緊急の会議を行い、13の傘下団体に絶縁や破門という処分を下しました。絶縁や破門という処分は、「山口組追放」を意味しています。つまり該当の13団体が、現時点で分かっている離脱グループとなります。離脱グループには、山口組の中で最大勢力を持つと言われる山健組や中核組織の1つである宅見組が入っています。福井、岡山、熊本にそれぞれ拠点を置く3つの組織を除いた10の組織は兵庫、大阪、京都という関西に拠点を置く2次団体です。離脱グループは新組織を結成する予定で、組織名称は「神戸山口組」となるようです。

*今回記事を作成するにあたり『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス)、『実話時代』各号、『新装版 ヤクザ崩壊 半グレ勃興―地殻変動する日本組織犯罪地図』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫)の情報を参考にさせて頂きました。

 現在、山口組のトップの代目は六代目で、担っているのが司忍(73歳)です。2005年に六代目組長に就任するものの、組員の拳銃所持による共謀共同正犯に問われた最高裁で懲役6年の有罪が確定した為、その年の12月に司忍は収監され、服役生活に入ります。司忍が出所する2011年まで、山口組の実質トップとして、取り仕切っていたのが若頭の髙山清司(67歳)です。司忍、髙山清司ともに、名古屋を拠点にする山口組の有力2次団体・弘道会出身です。2005年まで、弘道会の会長を司忍が、弘道会の若頭を髙山清司が務めていました。髙山清司は1989年に弘道会の若頭に就任しています。約15年間、司忍と髙山清司は、会長と若頭の関係を維持し続けてきたことになります。確固たる信頼関係が形成されています。2005年当時、司忍は共謀共同正犯の罪による服役生活に備える必要がありました。山口組のトップになっても、服役生活に入れば、求心力の低下は避けられません。その事態を防ぐ為に講じた策が、信頼を置く「弘道会の若頭」である髙山清司を、「山口組の若頭」に就かせることでした。トップ不在の山口組において、若頭の立場にいる者が最大の権限を握ります。司忍にとって、腹心の髙山清司が山口組を率いられる体制の構築が、求心力維持の為に、必要不可欠だったのです。

 組織内のナンバー2に位置する若頭は文字通り、子分である若い者の「頭」として、組織内の子分をまとめあげていく役割が求められます。一方、若頭の上に立つヤクザ組織の長は象徴的な役割を担うだけです。つまり組の実務は、若頭によって取り仕切られています。1次団体の山口組において、「子分」は各2次団体の長になります。普段は、2次団体の「親分」として振舞っている者達です。1次団体の山口組の若頭は、親分色の強い「子分」達をまとめあげるという難しい仕事を担うことになります。しかし直前まで、2次団体の若頭を務めていた髙山清司は、「若頭の業務」には精通しており、1次団体の若頭職も順調にこなしていきます。髙山清司にとってすれば、対象が「弘道会の傘下団体の長」から「山口組の2次団体の長」に変わっただけで、指導・監督などの若頭の仕事は変わらなかったので、思い切りやれたのでしょう。2008年に後藤組組長の除籍を巡り、一部の2次団体の長達による反執行部の動きが出ます。しかし反執行部の動きは封じられ、複数の2次団体の長が処分される結果に終わりました。髙山清司が若頭として手腕を振るう中、弘道会の影響力が山口組内で増していきます。髙山清司は2010年、恐喝容疑で逮捕されます。2014年に刑が確定し、髙山清司は服役生活に入ります。髙山清司の服役から現在まで、2011年に出所した司忍が若頭の社会不在の中、山口組を治めてきました。

 親分子分の関係という、垂直的な人間関係がヤクザ社会にあります。子分は親分に逆らえないという関係です。上意下達が簡潔に済む親分子分の関係は、組織運営を円滑化させる側面があり、ヤクザ社会で長らく採用されてきました。当然、親分優位の仕組みです。現在のヤクザ社会における親分子分の関係は、入れ子構造になっています。つまり、ある1人のヤクザは「子分」であるのと同時に、「親分」でもあるということです。別の言い方をすれば、下位者でもあり上位者でもあるという両価的存在です。2008年時の髙山清司の場合、1次団体・山口組のトップである司忍の「子分」であるのと同時に、2次団体・弘道会の会長という「親分」でもありました。親分子分の関係が入れ子構造化した背景には、ヤクザ組織が大規模化・広域化したことがあります。入れ子構造化したことにより、親分子分の関係は強化されました。例えば、「子分」の立場である2次団体の長が、1次団体の長である親分に対して、逆らったとします。この2次団体の長がとった行動は、親分子分の関係自体を否定したことになります。一方、この2次団体の長は、自身の組織では「親分」でもあります。理屈上、この2次団体の長は親分子分の関係を否定した立場として、自身の子分達が逆らった場合、合理的に説き伏せることができません。入れ子構造化した親分子分の世界において、ヤクザの親分が「親分」として認められる為には、子分達に手本となるべき「子分」を親分自身が演じ続けることが求められます。会社の中間管理職と似た立場に置かれているのが今のヤクザです。立場上、上位者に従わざるをえない環境下にあるのです。一方、昔存在していた小規模の独立ヤクザ組織であれば、親分は「親分」の役だけ、子分は「子分」の役だけを演じれば済みました。「子分」専任のヤクザは、「親分」という役の演技が不要なので、親分に逆らうハードルは低かったです。親分は子分に背かれないように、子分に配慮する姿勢を時には示さなければなりませんでした。

 入れ子構造化したことで、強度が増した親分子分の関係に従えば、1次団体のトップの指示・命令は絶対的です。自ずと1次団体のトップは、出身母体の2次団体の為に、便宜を図ろうとします。弘道会が影響力を増した背景には、絶対的な立場である1次団体のトップを輩出したことがあるのです。今回の分裂に至った直接的な理由の1つとして、神戸にある総本部の名古屋移転話があります。2011年に出所して以降、司忍の自宅は名古屋にあり、神戸の山口組総本部までは新幹線で通うスタイルをとっています。神戸に拠点を置いて100年の歴史を持つ山口組にとって、神戸の総本部は象徴的な意味合いを持っています。時のトップの意向で移転させることに、さすがに疑問の声が上がるのは予想できます。また総本部の名古屋移転は、別の意味を示しています。70を超える年齢の司忍は、次の跡目を考えているはずです。次の七代目を神戸や大阪の2次団体の長に託すつもりであれば、総本部を名古屋に移転するのは、合理的ではありません。つまり山口組の七代目、もしくはそれ以降のトップも、弘道会から輩出していくということを、総本部名古屋移転は意味しているのです。離脱グループの1つである山健組は、山口組五代目組長(渡辺芳則)を輩出しました。五代目時代の1989年~2005年は、現在の弘道会のように、組織を拡大し、山口組内で強い影響力を及ぼしていました。良い時代を知っているだけに、今後も不遇の時を過ごすことが我慢できなくなったのかもしれません。親分子分の関係の問題点として、「親分」の指示・命令に対抗する装置・機能の弱さがあります。ヤクザ組織内で不満を募らせたグループは、組織内で適切な解決方法を見出せず、離脱という飛躍的な方法を選ぶしかないのです。