織田絆誠とツイッター組長

 ヤクザ業界及び関連する実話誌で現在注目を浴びている人物の1人として、神戸山口組の若頭代行を務める織田絆誠がいます。8月末に起きた山口組分裂騒動後、神戸山口組の中核組織・山健組の傘下組織がある各地を織田絆誠自ら回っています。傘下組織の組員に直に会い、連絡事項を伝えている模様です。裏社会の組織にとって「直に会うこと」の価値は近年高まっています。電話・メール上の連絡では、敵対組織や警察当局から盗聴される可能性があるからです。織田絆誠は各地の傘下組織を鼓舞する一方、対立する山口組の2次団体の本部事務所付近に姿を見せるなど、挑発的行動もとっているという情報もあります。神戸山口組の活発的な動きを象徴する人物となっています。分裂騒動後、実話誌で織田絆誠が取り上げられ、知名度が上がっています。織田絆誠は1966年大阪で生まれ、現在49歳です。18歳で某ヤクザ組織(ネット情報によれば酒梅組)に入るものの後に脱退します。1988年頃山口組の傘下組織・倉本組に入ります。

*今回記事を作成するにあたり『週刊実話』2015年10月15日号、『実話時代』2015年3月、12月号、『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社)の情報を参考にさせて頂きました。

 倉本組は、1960年代山口組の全国侵攻において大きな役割を果たした2次団体・柳川組を源流としています。柳川組は大阪で独立団体として活動後、1959年山口組の傘下に入ります。1960年の明友会事件で収めた実績で、柳川組は同年に早くも2次団体に昇格します。以降、時には武力行使を用いる形で、全国各地に侵攻していきます。しかし警察庁による第1次頂上作戦が1964年に開始され、伸張が著しい柳川組は警察当局の標的にされます。1969年柳川組は解散に至ります。とはいえ、旧柳川組の勢力山口組内に残り続けます。現在も柳川組を源流とする2次団体が山口組には存在しています。石川県金沢市を拠点にする昭成会、大阪や北陸を地盤とする一会、大阪を拠点にする章友会などがあります。ちなみに章友会のトップを務め山口組では顧問の立場にある83歳の石田章六は「柳川組四天王」と呼ばれた1人で柳川組の重要幹部でした。柳川組を源流とする倉本組は、倉本広文が設立した組織で奈良を本拠として、山口組四代目体制時(1984~1989年)に2次団体に昇格します。五代目体制時に、倉本広文は山口組の若頭補佐に就任し1次団体の執行部入りを果たします。1998年の倉本広文の死去後、倉本組は倉心会と貴広会に二分します。二分したものの、両団体は1999年に2次団体に昇格します。貴広会は後に、組織名を倉本組に改称します。ヤクザ社会では、一度途絶えた組織名を復活させることが度々あります。その際「名跡の復活」という言葉が実話誌で用いられます。しかし現在の倉本組は10月に山口組から除籍処分を受け、山口組から離れています。倉心会は現在も山口組の2次団体として活動しています。

 倉本組時代に織田絆誠は、1990年山波抗争において、敵対組織である波谷組傘下組織の幹部銃撃事件により、長期服役に至ります。懲役期間は「15年近く」とされています。抗争時の活動はヤクザ社会では「実績」となります。懲役中、織田絆誠は倉本組の若頭補佐の地位に引き上げられたと言われています。出所後、旧倉本組の組織には入らず、山口組の有力2次団体・山健組の傘下組織である健竜会に移籍します。山口組の3次団体にあたる健竜会ですが、山口組五代目組長の渡辺芳則が1970年に興した組織です。神戸山口組のトップであり山健組組長も兼任する井上邦雄は、山健組の組長に就任する2005年までは、健竜会のトップを務めていました。当時の山口組における健竜会の存在は大きいです。織田絆誠が健竜会に移籍できた要因の1つとして、服役中に同じく長期服役の身であった井上邦雄と知り合えたことがあります。井上邦雄は2000年に出所、健竜会の会長に就任します。1990年から「15年近く」服役していた織田絆誠は、その後出所して、井上邦雄がトップを務める健竜会に身を寄せたのです。織田絆誠としては、二分した旧倉本組の組織に戻るより、服役人脈を活かして有力2次団体の山健組内で活動するほうが、ヤクザとしてのキャリアを積めると判断したと思われます。織田絆誠は健竜会で幹部を務め、2004年頃健竜会から山健組の2次団体のトップに昇格します。その後、山健組の若頭補佐などを務め、井上邦雄を支えていきます。そして2015年9月5日、神戸山口組の初の定例会で、織田絆誠は山健組からの唯一の内部昇格者として執行部入りを果たします。9月24日、2回目の定例会で、織田絆誠は若頭代行に就任します。スピード出世を果たした人事から、井上邦雄の信頼が厚いことが窺えます。織田絆誠自身は邦道連合という組織を持っています。邦道連合が現在、神戸山口組の2次団体か、山健組の2次団体かは確認できません。

 織田絆誠の風貌も世間の耳目を集める上で上手く機能しています。織田絆誠の風貌は精悍な顔つきで、スタイルもよく、メディア映えします。また49歳という年齢よりも若く見え、50代以上の人物が実話誌の写真を占めることが多い中、新鮮に見えてしまいます。山口組側でその役割を果たしているのが弘道会の竹内照明です。同じく精悍な顔つきで、スタイルが良く、メディア映えがします。織田絆誠に比べてソフトな印象もあります。両者とも、現在の立場を考えれば、将来のトップ候補という共通点もあり、今後比較されることが多くなりそうです。

 ヤクザ業界でもう1人注目を集めるのがツイッター組長(@6yamaguchigumi)です。本人曰く「構成員18人ほどの某組長です」とのことで、また神戸山口組側の人物と告白しています。なりすましの可能性も高いですが、ツイッター上で発信される情報からは、ヤクザ業界に近い人間であると推測できます。ツイッター組長も織田絆誠同様に、分裂騒動後、全国各地を回っていることがツイッター上で明らかになっています。ツイッター上で発する「名古屋なう」は、神戸山口組の人間が弘道会の本拠地に来たことを示します。つまり山口組を挑発する行為であります。ツイッター組長はツイッターに2011年5月に登録しています。分裂騒動の前から、ツイッターをしていたことになります。仮にツイッター組長が、実際神戸山口組の傘下組織の組長であったとすると、当初は個人的な趣味でツイッターを始めたと思われます。分裂騒動後、ツイッター組長の存在は有名になってしまいました。ツイッターとは情報発信ですが、情報が不意に漏れてしまう側面もあります。よってヤクザ組織とツイッターは本来、親和性は高くありません。さすがにツイッター組長の存在が組織内で露見して、処分されそうですが、現在もツイッター組長はツイッターを続けています。このことを考えると、やはりヤクザの組長説は弱くなります。しかし仮にツイッター組長の存在が神戸山口組内で露見しても、神戸山口組に不可欠な人物もしくは地位の高い人物であったとしたら、話は別です。ツイッター使用の禁止を命じることはできません。ツイッター組長が今もって、ツイッターをできていることは、ツイッター組長が地位の高い人物であることを窺わせています。実際、ツイート内容から、頭の良い人物であることが分かります。ツイッター組長が「名古屋なう」など、各地に来たことを写真付きでツイートするたびに、山口組側に心理的不安をもたらしています。組長という反社会的組織の人間を名乗れている背景には、ツイッター組長の正体が今もって「不明」だということがあります。組長ではなく、一般人が組長を装って名乗っている可能性も否定できません。一般人である可能性が残っている以上、暴力団排除の動きが強まる中でも、「ツイッター組長(@6yamaguchigumi)」の存在を消すことはできないのです。つまり正体が「不明」であることが、組長としてツイートできる担保になっています。しかし正体が明らかになった時点で、ツイッター組長は恐らく消えるでしょう。