非指定団体のヤクザ組織

 ヤクザ組織は一般的に「指定暴力団」と表されています。「指定」という言葉は、1992年施行された暴対法から来ています。暴対法の正式名称は「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」です。暴対法は、効力の対象となる団体を予め「指定」することに特徴を持つ法律です。「指定」されていない団体には暴対法は適用されません。指定する役割を担っているのが都道府県公安委員会です。「指定」を決める要件として、「組織的暴力を背景とする資金獲得」「組織犯罪の前科を持つ構成員の割合」「階層的な組織構成」の3つがあります。例えば「組織犯罪の前科を持つ構成員の割合」の場合、組織犯罪の前科を持つ構成員の割合が一定以上の団体であれば、「指定」されます。逆にヤクザ組織と公にしている団体でも、組織犯罪の前科を持つ構成員の割合が少なければ、理屈上「指定」されないことになります。

*今回記事を作成するにあたり『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社)、『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦、2013年、講談社+α文庫)『実話時代』2014年11月号・2015年2、7月号・2016年4月号の情報を参考にさせて頂きました。

 

 暴対法による指定を受けないヤクザ組織(指定暴力団から分裂した勢力を除く)として、東京都の東亜会(2016年10月東亜会は東声会に組織名を改称)、兵庫県の松浦組と忠成会、熊本県の熊本會などがあります。東亜会は、1947年頃に興された東声会を源流としています。東亜会の初代会長町井久之は1963年、山口組三代目組長の田岡一雄と兄弟盃を交わし、田岡一雄の舎弟(「弟分」を示す用語)になっています。町井久之はプロレス興行の役員であったことから、プロレス業界に影響力を持っていました。その後、組織名が「東亜友愛事業組合」→「東亜友会」→「東亜会」と変更されてきました。1963年トップ同士の兄弟盃を交わして以降、山口組との関係は現在も継続されています。また東亜会は関東二十日会の参加メンバーでもありました。関東二十日会は、住吉会や稲川会など関東を活動拠点にする博徒系ヤクザ組織により1972年に作られた親睦団体です。関東二十日は2014年解散山口組2次団体・國粹会を新たに加えて、関東親睦会を発足させています。東亜会(現・東声会)は山口組のみならず、関東のヤクザ組織とも結びつきを持っています。

 

 松浦組と忠成会は戦後の神戸から活動を盛んにしてきました。松浦組は1960年代の東映任侠映画における水面下の「調整役」を担っていました。任侠映画の話の元になったヤクザ組織やロケ地先のヤクザ組織との交渉を務めていました。現在のトップは二代目組長の笠岡和雄です。笠岡和雄は、1982年に結成された右翼団体・大日本新政會の総裁も務めています。大日本新政會は右翼活動に加えて、大手芸能プロダクション・バーニンプロダクションを批判しています。

 

 熊本會は1991年に結成された熊本連合を源流としています。熊本連合は名前が示すように連合組織で、「上下関係」を持たない組織でした。熊本県を地盤とする、山野会、大久保一家、大村一門、西心会、虎門会の計5つの独立団体が加盟していました。しかし2005年、一部の勢力山口組や道仁会に移籍したことで、熊本連合は解散に至ります。独立団体の道を選んだ大村一門と虎門会は同年、熊本會を立ち上げます。熊本會は親分子分の関係つまり「上下関係」を取り入れた組織です。初代会長を虎門会出身の森原健次、二代目会長を大村一門出身の戸崎豊、現在の三代目会長を虎門会出身の森原秀徳としています。三代目会長森原秀徳は初代会長森原健次の実子です。また森原健次は二代目体制以降、総裁職に就いています。熊本會は立ち上げた2005年、工藤會、道仁会、太州会で結成されている親睦団体・三社会に入ります。以後三社会は、四社会に組織名が変更されます。四社会においては、各最高幹部などが月に一度集まり、会議が行われています。月当番の仕事は持ち回りで各団体が務めます。同じ親睦団体の関東親睦会における集まりは、最高幹部らによる年4回の食事会です。広域1次団体において、1次団体トップと2次団体トップが集う会議が月に一度開催されています。四社会の「月に一度の会議」から、四社会内の強い結び付きが窺えます。