極東会の中核組織である松山連合会

 日本最大のテキヤ組織であり、公安委員会により指定暴力団の指定を受けている極東会の中においても、中核となる下部団体が存在しています。現在、極東会は東京池袋に本部を置き、1都1道13県を活動範囲とし、構成員約750名を抱えています(*1)。極東会の中核組織が、新宿を拠点とする松山連合会です。日本でも有数の歓楽街・新宿歌舞伎町には、多くのヤクザ組織が活動していますが、昔から大きな勢力を張っている組織は住吉会と極東会です(*2)。テキヤ組織の極東会ですが、母体となった関口一家は戦後の活動期から、露店の縄張り(庭場)を持っていませんでした(*3)。

 関口一家は地方の露店商売に活路を見出し、都市部においては暴力的手法を用いて露店商売を拡大していきました(*3)。戦後、本拠地の池袋から新宿に関口一家が進出していきます(*3)。太平洋戦争終了から1940年代末まで、生活必需品を売買する闇市が各都市にありました(*4)。池袋や新宿にも闇市がひらかれていました(*4)。闇市の名前が示すように、行政機関が認めていない市場である為、揉め事の解決を行政機関や警察当局に頼む訳にはいきません。闇市の指導・管理に大きな役割を果たしたのが、テキヤ組織だったのです(*4)。闇市が消滅した後も、関口一家は裏稼業の為に、新宿に残り続けていきました。

 戦後、関口一家の新宿進出で大きな役割を果たしたのが三浦周一です(*5)。極東会前会長で、「極東五代目」を名乗る松山眞一(今年89歳)は若かりし頃、三浦周一の組織に入ります(*6)。三浦周一の死去後、1975年、松山眞一が三浦周一の組織を引き継ぎます(*7)。良翌年1976年、組織名称を極東三浦連合会に変更します(*7)。1985年には、また組織名称が極東三浦連合会から眞誠会に変更されます(*7)。1990年松山眞一は極東会トップの会長職に就任します(*7)。松山眞一は1990年代から会長職を退く2015年まで極東会の最高権力者として位置していました。(*8)。眞誠会はその後、松山連合会に組織名称が変更され、現在に至っています。松山眞一の出身母体である松山連合会も自ずと極東会における存在感が増していったことは想像に難くありません。

 松山眞一の跡を継ぎ、極東三浦連合会(眞誠会)を率いたのが池田享一です。1979年、池田享一は極東三浦連合会の会長に就任します(*9)。また1985年に眞誠会に組織名称が変更された後も、池田享一は眞誠会の会長職を長く務めてきました(*9)。1979年、池田享一は極東三浦連合会の機関誌『限りきなき前進』を創刊します(*10)。『限りきなき前進』は、発刊終了の2000年まで、年2~3刊ペースで刊行されていきました(*10)。ヤクザ組織の機関誌としては、長く続いたと言えます。発刊終了の翌年2001年、池田享一は病気により死去します(*11)。松山眞一が極東会会長に就任した1990年、池田享一も極東会の会長代行という役職に就いていました(*12)。池田享一が極東会の中でも重要な役割を果たしていたことが窺えます。

<引用・参考文献>

*1警察庁平成27年暴力団情勢」, p28

*2『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦、2013年、講談社+α文庫), p297

*3『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p10~11

*4 『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』(厚香苗、2014年、光文社新書), p99~103

*5『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』p115

*6 『仕事で使えるヤクザ親分の名言』(山平重樹、2012年、徳間文庫), p145

*7 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』p76

*8 『週刊実話』2015年11月19日号, p41~43

*9 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』p112

*10 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』p110

*11 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』p115

*12 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』p116