住吉会の親戚団体

 1都1道1府15県を活動範囲とし組織人数(構成員+準構成員等)約7,300名を抱える住吉会は、組織人数でみると、ヤクザ組織第2位の規模に位置しています(*1)。ちなみに1位は約14,100人の山口組、第3位は6,100人の神戸山口組、第4位は5,800人の稲川会となります(*1)。住吉会は他団体とどのように付き合っているのでしょうか。ヤクザ業界における同盟関係を意味する「親戚縁組」を住吉会も他団体と結んでいます。暴対法が施行された1992年、住吉会は稲川会と親戚縁組を結びました(*2)。また1995年、住吉会テキヤ組織・極東会とも親戚縁組を結びました(*3)。

 

 しかし住吉会は2001年、稲川会と緊張関係に陥ります。2001年3月、独立団体・二率会解散に伴い、二率会の中核組織小金井一家の「貸しジマ」を巡り、稲川会と対立します(*4)。当初、小金井一家住吉会に参入する予定でした(*4)。小金井一家の「貸しジマ」の1つに、神奈川県川崎市の縄張りがありました(*4)。借りていたのが稲川会2次団体・山川一家でした(*5)。「店子」側の山川一家にとって、「大家」が二率会から住吉会に変わることで、「縄張りの賃貸契約」の解消が危惧されたのです(*4)。小金井一家と稲川会の間で抗争が3月16、17日にありました(*4)。住吉会は小金井一家に応援部隊を派遣しました(*4)。その後、小金井一家の川崎グループが稲川会に、小金井一家の東京グループが住吉会に分割されるという条件で、和解が成立しました (*4)。

 

 同年(2001年)8月15日には、東京都葛飾区の四ツ木斎場で、住吉会系組幹部の通夜が行われている際、稲川会2次団体・大前田一家の組員により住吉会の有力組織の向後睦会トップと滝野川一家トップが射殺される事件が起きました(*4)。稲川会側が大前田一家トップを絶縁、ナンバー2を引退という処分を下す形で、表向き両団体は和解に至りました(*4)。しかし水面下では住吉会は報復の機会を窺っていました。2003年1月25日群馬県前橋市内のスナックで、住吉会の幸平一家矢野睦会の組員2名が、引退処分となった大前田一家のナンバー2を狙い、銃撃事件を起こします(*6)。銃撃の結果、狙われたナンバー2自身は軽い怪我で済みましたが、一般人4名が射殺されるという悲劇に至りました(*6)。警察当局の捜査で、実行犯2名と矢野睦会トップが逮捕されました(*6)。

 

 住吉会は極東会とも1998年、3月4~6日の3日間抗争を起こしています(*3)。その後和解が成立します(*3)。また住吉会山口組と親戚縁組を結んでいませんが、9月29日横浜市山口組住吉会、稲川会の3組織のトップ会談が行われたように、山口組とは友好な関係を保っています(*2)。

 

<引用・参考文献>

*1警察庁平成27年暴力団情勢」

*2 『週刊実話』2016年10月20日号, p33~35

*3 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p100~103

*4 『実話時代』2014年6月号, p58~60

*5 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p66~69

*6 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p289~294