司興業の森健司組長

 『日刊ゲンダイ』2017年1月17日号の記事にて、ジャーナリストの溝口敦が山口組直参組長(2次団体組長)の森健司を「実際、今の6代目執行部と比べれば、森組長の方が格上と思わせる点は多々ある。まず森氏は司組長を含めて要路の人物にパイプを通じている。人脈があり、それに見合った構想力と実行力を備え、おおむね人に好かれ、他団体、他分野にも強いコネを持つ」と評価していました(*1)。記事では主に、森健司が率いる司興業の顧問(元山健組幹部)の絶縁処分の件が語られていました(*1)。

 

 森健司は1950年生まれの66歳で、若かりし頃当時山口組3次団体の司興業に入ります(*2)。司興業は、現在山口組トップの司忍が1967年に立ち上げた組織です(*2)。森健司は中京大学に進学し応援団に所属したことがあり、ヤクザ社会では珍しい大学進学者の1人です(*3)。ちなみにヤクザ社会の大学進学者として、稲川会理事長の内堀和也、稲川会慶弔委員長の池田龍治(法政大学)、住吉会総本部長の加藤英幸(国士舘大学)などが知られています(*4) (*5)。

 

 1984年司興業組長の司忍(弘田組では若頭)が上部団体・弘田組(山口組2次団体)の組織を引き継ぐ形で、弘道会を結成し会長に就任します(*2)。同年、司興業トップの地位は後任の人物に託され、司興業は二代目体制に移行します(*2)。二代目体制で、森健司は司興業の若頭、組長代行を務めました(*2)。1990年には、森健司は司興業組長、つまり山口組3次団体トップに就任します(*6)。2005年までの司忍会長時代の弘道会では、森健司は執行部職の若頭補佐を務めるなど、弘道会の組織運営に携わってきました(*6)。「司忍の出身母体」の長であったことは、森健司にとって、「追い風」になったはずです。2005年以降の二代目弘道会髙山清司会長体制からは、森健司は舎弟頭補佐の地位になりました(*6)。

 

 現在の三代目弘道会竹内照明会長体制(2013年~現在)でも、森健司は舎弟頭補佐の地位にしました(*6)。実績のある年長幹部達は、組織内の年少者がトップに就く場合、盃上「舎弟」という立場に直ることがあります。舎弟とは「組織内トップの弟分」を意味しています。つまり実績のある年長幹部達は、組織内トップと兄弟の関係を結ぶことになります。トップが多くの組員と結ぶ「親子関係」とは異なります。しかし舎弟は次期トップ候補から外されるというヤクザ社会の習慣があります(*7)。また舎弟は「副組長」「組長代行」「顧問」という役職を兼任していなければ、執行部には入らないのが一般的です(*7)。

 

 1947年生まれの髙山清司は現在69歳、1960年生まれの竹内照明は現在56歳、66歳の森健司にとって髙山清司は歳が近く、竹内照明は10歳も歳が離れています(*8)。森健司にとって、舎弟頭補佐は順当な立場だったのかもしれません。ただ舎弟という立場である以上、次期弘道会トップの道は基本的に断たれていた状況でした。しかし2015年6月、司興業は山口組2次団体に内部昇格することになり、弘道会を脱退しました(*6)。森健司の能力を1次団体・山口組で活用したいという狙いもあった人事内容と考えられます。

 

 現在、森健司は1次団体・山口組では執行部(若頭補佐以上の役職)には入っておりません。今後、森健司が執行部に入ることがあるのかどうか、今後の山口組の動きを見る上で重要な点の1つです。

 

<引用・参考文献>

*1 『日刊ゲンダイ』2017年1月17日号(16日発行)「溝口敦の斬り込み時評<286>」, p5

*2 『実話時代』2015年8月号, p31

*3 『週刊文春』2015年10月1日号, p23

*4 『日本のヤクザ100人 闇の支配者たちの実像』(別冊宝島編集部編、2016年、宝島社), p60, 158

*5 『週刊実話』2015年12月3日号, p43

*6 『別冊 実話時代 山口組分裂闘争完全保存版』(2016年10月号増刊), p85

*7 『菱の血判 山口組に隠された最大禁忌』(藤原良、2017年、サイゾー), p126-128

*8 『別冊 実話時代 山口組分裂闘争完全保存版』(2016年10月号増刊), p63,68