任侠系右翼団体

 右翼団体の中で、任侠系右翼団体と分類される団体は、文字通りヤクザ組織の影響を強く受けています(*1)。ヤクザ組織の幹部が任侠系右翼団体の幹部を兼任している、事務所が同じビル内にある場合などが、実際あります(*1)。また任侠系右翼団体はヤクザ組織から破門・絶縁になった者達の受け皿となっています(*1)。ヤクザ組織は任侠系右翼団体の人事権を大方握っています(*1)。両者の力関係において、ヤクザ組織の方が上であると考えるのが自然です。

 

 任侠系右翼団体は法律上政治結社であり、指定暴力団として扱われることはありません(*2)。任侠系右翼団体暴力団対策法や暴力団排除条例から免れることができます。ヤクザ組織的な要素を保持した上で、表向き過度の取締りや規制を受けない為、任侠系右翼団体は活動しやすいのです。任侠系右翼団体は思想活動を展開する一方、暴力性を活かし、企業恐喝を過去に行ってきました(*1)。手口の1つが、任侠系右翼団体の発刊する情報誌の購読です(*3)。またミカジメ料の徴収、覚せい剤の密売というヤクザ組織の資金獲得活動と同様のことを行う任侠系右翼団体もあります(*2)。過去の事例から、当然警察当局も任侠系右翼団体を厳しく監視しているのが実態です(*1)。

 

 有名な任侠系右翼団体としては、住吉会系の日本青年社、稲川会系の大行社などがあります。日本青年社は1969年、住吉会の2次団体・小林会の初代会長・小林楠扶により興されました(*4)。小林楠扶は死去する1990年まで、小林会会長と日本青年社会長を兼任していました(*4)。大行社は、北一輝門下の右翼・清水行之助によって興された団体です(*5)。1981年、渋谷を拠点とする老舗博徒組織の三本杉一家(稲川会2次団体)トップだった岸悦郎が清水行之助から大行社を譲り受けました(*5)。岸悦郎は大行社を譲り受ける際、三本杉一家総長の座を後身に渡し、ヤクザ社会から引退する形をとりました(*5)。

 

 山口組系の任侠系右翼団体としては、名古屋の司政会議があります。司政会議の名誉会長である土井幸政は、山口組の2次団体・司興業の設立初期の若頭を務めていた人物です(*6)。司興業は1964年、現在の1次団体・山口組トップ司忍により立ち上げられた組織です(*7)。1964年当時の司興業は山口組の4次団体でした。司興業の上部団体が弘田組、弘田組の上部団体が鈴木組、鈴木組の上部団体が山口組という階層関係に司興業は位置していました(*8)。2次団体・鈴木組の解散に伴い、1969年弘田組が2次団体に昇格します(*9)。土井幸政が司忍と極めて近い距離にいる人物であることが窺えます。司政会議の組織名は、司忍の「司」と土井幸政の「政」からとってきたことが推測されます。

 

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザ1000人に会いました!』(鈴木智彦、2012年、宝島SUGOI文庫), p151-153

*2 『裏社会 噂の真相』(中野ジロー、2012年、彩図社), p123-127

*3 『実録ヤクザという生き方』(朝倉喬司、溝口敦、山之内幸夫他、2000年、宝島社文庫), p318

*4 『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(伊藤博敏、2016年、小学館文庫), p304

*5 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』(有限会社創雄社実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p134,136

*6 『四代目・五代目 山口組全史』(2015年、メディアックス), p111

*7 『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』(木村勝美、2015年、メディアックス), p61

*8 『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』(木村勝美、2015年、メディアックス), p58

*9 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p54