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赤線と青線

 太平洋戦争後の日本の風俗業界において、1946~1958年の間、「赤線」と「青線」という言葉が使われていました。赤線とは、「公的に売春が認められた地区」を示す言葉でした(*1)。対して青線とは、公的に売春が認められていないけれど売春活動がある、つまり「非合法的に売春が行われている地区」を示す言葉でした(*1)。赤線の言葉の由来として、警察当局が公的に認められた売春地区を地図上で赤い線で囲った説、英語の「レッドライン」が直訳されて普及した説などがあります(*2)。青線も同様に、警察当局が青で色分けしたことから来たという説があります(*1)。ちなみに売春とは、女性の膣内を用いた性行為のことであり、膣内を用いずに男性の射精を導く性的サービスとは異なります。手淫や口淫のみでは、売春行為にはあたりません。

 

 江戸時代から1946年まで、日本において、売春は公的に認められてきました(*3)。江戸時代では幕府公認の遊郭で売春が認められ、明治時代以降は公娼制度により売春が合法的に認められてきました(*4)。売春は違法領域ではなかったのです。江戸幕府は公的に遊郭を作りました(*1)。江戸の吉原遊郭は1618年営業を開始します(場所は現在の吉原とは異なります)(*5)。前年1617年に幕府からの許可を得た上での営業開始でした(*5)。

 

 江戸時代の公認遊郭による売春制度や明治時代以降の公娼制度は、売春を野放図に許すのではなく、売春自体を認めるものの、売春業界を管理していました(*1)。公認遊郭以外の売春は禁じられていました(*1)。三重県志摩市渡鹿野島は近年において「売春島」として知られていますが、明治時代以降の公娼制度においては、渡鹿野島遊郭が置かれ売春が公的に認められていました(*6)。一方、公認遊郭の外で、売春活動をする人達がいました。私娼です。建前上、私娼は取り締まられる対象でした。幕末以降、横浜では公認の港崎遊郭とは別に、「チャブ屋」という店が売春サービスを提供していました(*7)。チャブ屋は政府の許可なく営業していました(*7)。「赤線」と「青線」の言葉を用いると、公娼制度下の渡鹿野島遊郭や横浜の港崎遊郭は「赤線」です。一方、公娼制度下の横浜のチャブ屋は「青線」となります。

 

 1946年、占領軍総司令部の指示により、公娼制度が廃止されます(*3)。しかしすぐさま、遊郭は「特殊喫茶」と看板を書き換えて、売春サービスを提供し続けていきます(*3)。公的機関は赤線として管理することで、売春行為を黙認することにしました(*3)。1946年の公娼制度廃止は形骸化されるに至ったのです。背景には、日本政府が集娼政策の重要性を占領軍総司令部に伝えたことがあります(*2)。公的機関としては、集娼により風紀の維持、検診などの衛生管理の円滑化、徴税の容易などのメリットがあります(*8)。売春自体を全面禁止にすると、売春グループは摘発を逃れて散在します。結果的に、社会に及ぼす影響は大きくなると当時の日本政府は考えたのでしょう。東京の吉原や大阪の飛田新地は、公的遊郭から赤線となりました(*9)。赤線の付近に、非合法に売春をするグループが現れます。非合法売春グループが活動した地区は青線と呼ばれます(*1)。青線は1946年以降も取り締まられる対象でした。赤線以外の売春地帯が青線といえます(*1)。青線は表向き料理屋やバーを営業して、売春サービスを提供していました(*1)。北九州市の門司においては、馬場遊郭や錦町が赤線、恵比須町が青線として知られていました(*10)。赤線の馬場遊郭や錦町は接待として使われて、青線の恵比須町には門司港の労働者が通っていたといわれています(*10)。赤線より料金を安くすることで、集客を図っていた青線もあったことが窺われます。

 

 1958年売春防止法が施行されます(*3)。日本において、売春自体が全面的に禁止されるに至ったのです。赤線は消滅しましたが、ソープランド街に移行する赤線もありました。東京の吉原、神戸の福原、熊本の高田原などは赤線からソープランド街に移行した例です(*11)。また大阪の飛田新地や松島新地は、赤線から料亭街に移行しました(*12)。実質売春が行われているソープランド飛田新地や松島新地においても、当事者達(従業員と客)は「売春している」と言ってはいけない環境下に現在あります。あくまでも「自由恋愛の結果、性行為に至った」と当事者達は言わなければなりません。

 

 1958年売春防止法は、元々非合法の青線の売春グループには効力がありませんでした。1958年以降、青線の売春グループは根強く残っていきます。しかし2000年代以降、警察当局の摘発により、消滅する青線が続出します。2005年町田のたんぼ(*13)、2005年横浜の黄金町(*14)、2009年沖縄の真栄原(*15)、2010年京都の五条楽園(*16)、2011年沖縄の吉原(*15)が摘発された結果、該当地区では売春活動が消滅しました。他の青線地区でも摘発されて消滅しています。上記の摘発された場所は、京都の五条楽園(旧赤線)を除いて、青線でした。一方、旧赤線のソープランドや大阪の飛田新地や松島新地は摘発されて消滅する事態には至っていません。警察当局にとって、昔の関係で、旧赤線のソープランドや大阪の飛田新地や松島新地には優しいのかもしれません。

 

<引用・参考文献>

*1 『青線 売春の記憶を刻む旅』(八木澤高明、2015年、スコラマガジン), p18-19

*2 『消えた赤線放浪記 その色町の今は…』(木村聡、2016年、ちくま文庫), p3

*3 『フーゾク資本論 なぜセックスは「巨万の富」を生むのか?』(岩永文夫、2015年、文庫ぎんが堂), p27-30

*4 『青線 売春の記憶を刻む旅』, p39

*5 『青線 売春の記憶を刻む旅』, p35,38

*6 『青線 売春の記憶を刻む旅』, p112,129

*7 『青線 売春の記憶を刻む旅』, p308-310

*8 『消えた赤線放浪記 その色町の今は…』, p150

*9 『青線 売春の記憶を刻む旅』, p149

*10 『青線 売春の記憶を刻む旅』, p254-256

*11 『消えた赤線放浪記 その色町の今は…』, p148,230,320

*12 『消えた赤線放浪記 その色町の今は…』, p205

*13 『青線 売春の記憶を刻む旅』, p47-48

*14 『週刊実話』2016年2月4日号「風俗新潮流 第36回 横浜・風俗街」(八木澤高明著), p173

*15 『青線 売春の記憶を刻む旅』, p272

*16 『青線 売春の記憶を刻む旅』, p123