赤坂の天皇

 

 住吉会の最高顧問を務めた浜本政吉は別名「赤坂の天皇」と呼ばれていました(*1)。浜本政吉は1995年78歳で死去しています(*2)。1917年(大正6年)、浜本政吉は石川県七尾市の米穀・木炭問屋の子どもとして生まれます(*2)。七尾商業学校中退後、浜本政吉は東京・芝の荒井組に預けられます(*2)。荒井組で浜本政吉は向後平と出会います(*2)。向後平は向後睦会(住吉一家の下部団体)の創設者で、組織の「初代」に位置付けられる人物です。

 

 その後、浜本政吉は向後平の舎弟として活動していきます(*3)。1956年3月6日浅草妙清寺にて、向後平は住吉一家の内紛で生じた銃撃戦で死亡します(*3)。向後グループトップを継いだのが西口茂男です(*3)。西口茂男は1991~1998年住吉会会長、1991年~2005年住吉一家総長を務めた住吉会の大物です(*3)。西口茂男は2005年に引退するものの、死去する2017年まで、住吉会の「最高指導者」と目されていました(*3)。西口茂男にとって浜本政吉は「兄貴分」に位置する人物でした(*3)。

 

 浜本政吉の舎弟達は「浜本兄弟会」を作ります(*3)。浜本兄弟会には住吉会以外のメンバーも入っており、浜本政吉を慕う親睦会の色合いが強いグループだったと考えられます。しかし「浜本兄弟会」には重要なメンバーが揃っていました。西口茂男は当然、松葉会会長となる牧野國泰、双愛会会長となる石井義雄も入っていました(*3)。牧野國泰は1993~2009年まで松葉会会長を務めました(*4)。西口茂男とほぼ同時期に1次団体トップに就いていました。

 

 実力者の揃う浜本兄弟会での情報交換ややり取りは互いを高めたはずです。その中心にいた浜本政吉が自ずと力を持っていったのは想像に難くありません。

 

<引用・参考文献>

*1 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p220

*2 『ヤクザの死に様 伝説に残る43人』(山平重樹、2014年、幻冬舎アウトロー文庫), p249-255

*3 『実話時代』2017年11月号, p31-36

*4 『実話時代』2015年7月号, p37-38