砂子川組

 

 

 かつて大阪に砂子川組という1次団体がありました(*1)。砂子川組は明治中期、西村伊三郎によって結成されたヤクザ組織でした(*1)。日露戦争にも砂子川組は参加しました(*1)。砂子川組は弾薬搬送の仕事を担いました(*2)。弾薬搬送のおかげか戦後、砂子川組は陸軍から馬の寝藁や糧秣納入の業務を受けました(*3)。ヤクザ組織が「軍隊の下請け機関」となっていたことが分かります。

 

 1996年時点、砂子川組は守口市滝井に本部事務所を置いていました(*1)。大阪5大新地(ちょいの間)の1つ滝井新地がある場所です(*4)。

 

  1983年在阪組織の酒梅組と東組の抗争では、砂子川組は会津小鉄会とともに和解に向けて動きました(*5)。抗争の「調停者」としての役割を演じられるのは、業界内で確かに認められた組織です。

 

 1987年6月山口組3次団体・中野会の副会長が大阪枚方市のレストランで射殺されました(*6)。中野会側は砂子川組によるものと決め、枚方市守口市の砂子川系組事務所を攻撃しました(*6)。結果、砂子川側に死傷者を出させました(*6)。実際中野会副会長を射殺したのは、山口組と当時抗争関係にあった一和会側の者であることが、後で判明しました(*6)。「疑われた」という結果から、当時砂子川組が枚方市に勢力を持っていたことが窺えます。

 

<引用・参考文献>

*1 『実話時代』2016年8月号, p113

*2 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p44

*3 『任俠 実録日本俠客伝②』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p25

*4 『週刊実話』2016年11月24日号「スキンレス春川が往く! 風俗裏街道」, p132-133

*5 『洋泉社MOOK・ヤクザ・流血の抗争史』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p144-146

*6 『四代目山口組 最期の戦い』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p344-345